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この連載は、2017年から2018年にかけてJAF Mateに掲載されたもので、JAF Mate様のご許可をいただき公開しております。

Dr.泉谷の人生相談 01

仕事のモチベーションが上がりません。転職すべきか悩んでいます。 (会社員·30代前半男性)

 まずは、モチベーション(意欲やる気)が上がらない本当の原因をはっきりさせることが必要です。仕事内容そのものに納得がいかないとか、職場環境に大きな問題があるような場合には、もちろん、転職を視野に入れて考えてみる必要があるでしょう。

 しかし、以前は面白みを感じていたはずなのに、途中からそう感じられなくなったのであれば、自分自身に何らかの問題があるかもしれません。プライベートに問題を抱えている場合もありますし、遊びや生活全般についても意欲が湧かなくなっているような場合には、うつ状態に陥っていることも考えられます。このような場合には、転職を考える前に、それらの問題の解決を優先する必要があるでしょう。

 また、ただ求められることに優等生的に応じるような生き方に疑問を抱くようになったり、よく考えもせず「働くのは当然」と思って進んできたことに疑問を抱くようになったような場合には、職を変えても根本的解決にはつながりません。


 そんな場合には、まず自分の中に湧き上がってきた疑問とじっくり向き合う必要があります。少々難しい言い方になりますが、これは「実存的な悩み」と呼ばれるもので、人間にとって避けて通れないとても大事な問いです。人間は、生きることや行っていることに
意味が感じられないと、モチベーションが失われ、行き詰まってしまう生き物なのです。

 このようなテーマと向き合うことは、人間ならではの悩みを悩むことであって、ちっともおかしなことではありません。臆することなく、
の声に耳を傾けてみましょう。そこから導き出されてくる新たな価値観は、きっと、転職の是非についてもあなたに教えてくれるはずです。

Dr.泉谷の人生相談 02

恋人がいる人ばかり好きになります。私は幸せになれるでしょうか。 (会社員·20代後半女性)

 人を好きになることそのものは、とても自然なことです。最近では、誰にも興味を持てなくなっているような人も少なくありませんから、その点ではもうすでに、あなたは人を好きになるという幸せの中にいるのです。

 好きになった相手が、蓋を開けてみたら恋人がいる人だったということならば、それは、あなたの側の問題ではありません。トラブルを承知で果敢にアプローチするのか、恋愛関係にこだわらずに良き人間関係を続けることを選ぶのか、それはあなたの判断です。恋愛というものは、人為的に作られた社会秩序や道徳とは別の次元に属するものなので、神話学者ジョーゼフキャンベルも言うように「愛は道徳を破る」ということすらあるのです。

 しかし、もし相手に恋人がいるとわかった途端に好きになってしまうのだとすれば、それは他人のものが羨ましくて奪いたくなるという心理が働いているので、手に入れた途端に熱が冷めてしまって、不毛な恋愛を繰り返すことになりかねません。この場合には、自身の心理的傾向を見つめ直してみることが必要でしょう。


 幸せになれるのかどうかと心配されているということですが、幸せとは、決して誰かを所有したりすることによって得られるものではありません。そして恋愛は、相手を所有することではありません。


「愛」とは、相手が相手らしくあることを喜ぶことであって、相手が自分のものであると考えたり、思い通りになることを求めたりするのは、エゴによる「欲望」なのです。


 どんな関係においても、人は人を所有してはならないし、それを求めてはならない。これさえわきまえていれば、恋愛はとても素晴らしいものであり、生きる喜びの源泉なのです。

Dr.泉谷の人生相談 03

スマホをいじってないと落ち着きません。やめるにはどうしたら? (学生·20代前半女性)

 必要があってスマホをツールとして使っている分にはいいのですが、「いじっていないと落ち着かない」とまでなると、これはもはや「依存」という状態に陥ってしまっているのではないかと考えられます。

 「依存」というものは、真に求めているものが得られないときに、別の対象に耽溺し、「代理満足」で紛らわそうとする行為のことです。

 しかし、それはあくまで「質」を犠牲にした「代理満足」に過ぎないので、どんどん「量」を増やしていかなければならなくなってしまうという厄介な問題が生じます。


 現代に生きる私たちは、膨大な情報や刺激に囲まれて生活しているうちに、本来はたくさんあったはずの「空白の時間」を見失い、いつの間にかこれを避け、恐れるようにまでなってしまいました。


 スマホでさまざまな情報にアクセスしたり、
SNS等で擬似的に人とつながることは、「空白の時間」を紛らわすにはうってつけなので、「スマホ依存」が生じやすくなっているのです。


 しかし、この「空白の時間」は、自分自身の心と静かに向き合ううえで欠かせない
大切なものです。古代ギリシャではこれを「観照生活」と呼び、最も人間らしい過ごし方として、働くことよりも重視されたほどでした。


 まずは、ほんの少し勇気を持って「空白の時間」を作ってみましょう。そして、静かに自分の心の声に耳を傾けてみましょう。これによって、あなたにとって「代理満足」でない真の満足が何なのかがきっと見えてくるはずです。


 そして、真の満足を求める生き方に軌道修正できたとき、スマホはもはや「依存」対象ではなく、単なるツールに戻っていることに気づくでしょう。

Dr.泉谷の人生相談 04

仕事が多忙で、休日は何もする気が起きません。私生活を充実させるには? (会社員·20代後半男性)

 平日の仕事ですっかり消耗し、休日はひたすら充電に充てるのだとすれば、何のために生きているのかわからなくなってしまいます。

 そこで、平日の仕事ですっかり消耗し切ってしまわないように、エネルギーを節約する必要があるのですが、それにはどうしたら良いのでしょうか。

 ならば、「仕事の手を抜けば良い」と思うかもしれませんが、これはかえって逆効果です。イヤイヤ仕事をしている状態だと、肉体的にはエネルギーを節約しているように見えても、不本意な気持ちで仕事をするので、精神的にはひどく消耗してしまい、余計に疲労困憊してしまいます。

 そこで、逆の発想で、むしろ仕事のクオリティー(質)を上げるように考えてみると良いでしょう。どんなところに無駄な労力を使ってしまっていたのか、どこに力を集中させるべきなのか、そういうことを自発的に考えて、「受身的」ではない仕事のやり方に切り替えるのです。

 すると、同じ仕事でも要領良くこなすことができるようになり、かつ「質」の高い仕事になります。「質」を上げると「量」を減らすことができるので、結果的には、残業も少なくて済みますし、就業時間外にまで仕事の心配や後悔を引きずらなくなります。それによって、おのずとプライベートの時間も良質なものになっていくのです。

 しかし、工夫の余地がないほどの過剰な業務を求められているとしたら、会社が「ブラック」であることも考えられるので、早めに脱出を検討する必要もあるでしょう。また、自分の性質と仕事内容の相性が合っていない場合も、人一倍、消耗が激しくなるので、異動や転職等の方向転換を検討すべきでしょう。

Dr.泉谷の人生相談 05

ダイエットが続きません。意思を強くするにはどうしたらいいですか? (自営業·30代前半女性)

 ダイエットが続かないからといって、がっかりすることはありません。ほとんどの人たちがうまく続けられないからこそ、世の中に次々新たなダイエット法が登場しているのです。また、ダイエットを成功させるような「意志力」は、実は、とても危険なものでもあるのです。

「意志力」で
食欲という自然な欲求をコントロールすると、後々必ずや「心=身体」という内なる自然から反逆されてしまうことになるということを、私は臨床で、たくさん目の当たりにしてきました。


 いわゆる「リバウンド」で過食が起こって、過食とダイエットの悪循環にはまり込む方も少なくありませんし、なかには、強力な「意志力」でダイエットを成功させ、さらに際限なく痩せようとする方もあります。このような過度の自己コントロールは、「心=身体」側の「それならもう何も食べない!」というハンガーストライキを引き起こしてしまって、「拒食症」の状態にまで至る危険もあるのです。


 ですから、自然な食欲をコントロールするようなダイエット法は、決してお勧めしません。ダイエットに挫折するほうが、むしろ自然なのです。


 ただし、何らかの欲求不満で食欲が過剰になっているのならば、その原因に対する解決を考えるべきでしょう。また、「自分を愛すること」がうまくできていないような場合にも、実際以上に自身の体型に不満を抱きやすいので、その問題に取り組まなければ真の解決には至らないでしょう。


 人間は、心が喜びを感じた時に「精神の消費カロリー」がグンと増えるものです。無理な自己コントロールを課すことよりも、喜びを感じられるような日々を過ごすことこそが、最も自然で安全なダイエット法なのです。

Dr.泉谷の人生相談 06

好意を寄せてくれる相手を好きになれず、悪い所ばかり気になります。 (会社員·30代前半女性)

 自分を好いてくれる人は全然好きになれないけれど、自分が好きになるのはいつも、決して振り向いてくれそうもない人ばかり。こんなジレンマを抱えている人は、案外少なくないようです。

 このような傾向は、実は本人の自己愛(自分が自分を愛すること)に根本的な原因があって、そこから引き起こされてくる現象です。

 つまり、自分が自分自身を好きになれず、否定的にしか見ることができないと、
そんな自分に好意を寄せてくる人は「趣味の悪い人」ということになるので、当然、そんな人を好きになれるはずがありません。逆に、そんな自分に見向きもしない人は「趣味の良い人」ということになって、むしろ憧れの対象になるわけです。


 このように「自分が自分をどう見ているか」が、恋愛のみならず、いろいろな人間関係に影響を及ぼしてくるのです。自分を否定的に見ていると、その自己イメージに合致するように、自分を粗末に扱ったり、否定的なことを言ってくるような人ばかり、自分のまわりに集めてしまうことになります。逆に、自分が自分を認めて愛せるようになれば、恋愛だけでなく、相思相愛的な人間関係をまわりに作っていけるようになるでしょう。


 では、「自分を愛せない」人は、どうしたら自分を愛せるようになるでしょうか。

「愛する」とは、対象に条件を課さないことです。ですから、自分に「欲望」の視線を向け、良いところがあるか、社会的価値があるかなどと値踏みしたり、人と比較したりすることをやめることが大切です。そして、自分という存在がこの世界で、
ただこの自分であることを愛おしく思うこと。それが「自分を愛すること」なのです。

Dr.泉谷の人生相談 07

熱中するほど好きなことがありません。自分はつまらない人間でしょうか。 (学生・10代後半女性)

 たしかに、何か熱中するものを持っている人は、生き生きと輝いて見えるものです。そんなふうになりたいと願うこと自体は、とても自然なことだと思います。しかし、そうでないからといって、自分を「つまらない人間」と考える必要はありません。

 熱中する対象に、早々と子供時代に出会える人もいれば、人生の後半になって出会う人もいますが、必ずしも早ければよいというものでもありません。


 そもそも、子供時代に何かに出会えるかは、環境によってかなり左右されてしまいますし、そこで何かに出会えたとしても、必ずしもそのタイミングで良さがわかるとも限りません。成熟してからでなければ良さのわからないような対象に若くして出会っても、マイナスイメージしか残らない場合もあるのです。


 また、興味を抱いて熱中できる対象は、一つの人生で一つだけと決まっているわけではありません。年齢とともに興味の対象が移り変わっていくこともよくあります。


 私たち日本人は、ドキュメンタリー番組に取り上げられるような「この道ひとすじ何十年」といった人生が良いものと考えがちですが、これは必ずしもすべての人に当てはまる話ではありません。紆余曲折を経て何かに出会う人生もあるでしょうし、さまざまなことを広く浅く器用にこなす資質の人もいる。また、淡々と日常を味わうことに幸せを感じるような生き方だってあるでしょう。


 今の自分が知っている限られた範囲の中から、焦って何かを選んだりしなくてもよいのです。好奇心のアンテナを常に張って、決して、「面白いものなんてない」とたかをくくらず、自分の魂が震えるものを、しぶとく探し続けることが大切なのです。

Dr.泉谷の人生相談 08

周囲の期待や望まれる役割に応えることに疲れてしまいました。 (会社員・40代前半女性)

 人の期待に応えることは、周囲からすれば何かと都合がよく、助かることなので、当然、感謝されたり評価されたりします。この生き方は、人の役に立っていることが直接実感しやすいため、自分の存在意義をそこに感じて、生き甲斐にしてしまいがちです。

 しかし今回のご相談にもあるように、このような生き方は、必ずどこかの時点で、限界が訪れてしまうものです。なぜなら、その陰にはどうしても、ある種の自己犠牲が潜んでいるからです。


 残念ながら、私たちは神でも聖人でもないので、やはり、自分というものを大切にしなければ、その自分自身からいずれ、反発を招いてしまうことになってしまいます。


 献身的に誰かに尽くしたり、求められる役割を果たすことは、もちろんすばらしいことなのですが、まず自分自身を正直に満たしてあげることが優先されたうえで、行われるのでなければなりません。そうでないと、しかるべき評価が得られなかったりしたときに、虚しい気持ちにさいなまれてしまいます。つまり、人の役に立つことを生き甲斐にしてしまうと、無意識的に、相手に評価されたり感謝されたりといった「見返り」を期待してしまうものなのです。


 相田みつを氏は「人の為と書いていつわりと読むんだねえ」という名言を残しましたが、これに倣って言えば、「人の為に善いことをするのは偽善である」と言うことができるでしょう。ですから、偽善にならずに善い行いをするためには、まず自分自身を大切にし、正直に自分を満たしてあげること。そして、それでも余った愛情のエネルギーを用いて「見返り」を期待しない行いをすること。これが、神でも聖人でもない私たちにできる精一杯の愛の発露なのです。

Dr.泉谷の人生相談 09

幸せを感じるときほど悪いことを想像してしまい怖くなります。 (会社員・30代後半女性)

 あなたは、どこかで「私は幸せになれるはずのない人間だ」と思っているのではないでしょうか。

 このような思い込みは、大抵、その人が育ってきた歴史の中で作りあげられてしまうものです。くわしい事情はさまざまあると思われますが、たとえば、両親が幸せそうに見えないことに心を痛め、「自分だけが幸せになっちゃいけない」と自分で自分に「不幸の呪い」をかけてしまう健気な子もいれば、楽しくはしゃいだりしているときに、「調子に乗るな!」「そんなに浮かれているとそのうち必ず失敗するぞ!」などと親から「不幸の呪い」をかけられて育ったというようなケースもあります。いずれにせよ、育った家庭に原因があることが多いのです。


 私たちの
というコンピューターは、過去の分析や未来の予測を行いますが、この働きによって「過去の後悔」や「未来の不安」も作り出されます。しかし、はあまり性能の良いコンピューターではないので、過度に悲観的だったり、楽観的だったりします。ですから、あまりを過信せず、振り回されないことが賢明なのです。


 一方、われわれの
が備えている即興的判断や直感的判断の力は、に比べて、格段に性能が良いものです。ですから、の作り出す「先の心配」に焦点を当てるよりも、を信頼して「今を生きる」ことを大切にするのが良いでしょう。


 この「不幸の呪い」は、子供時代に何らかの事情があって、当時の
が作り出してしまった不適切な自己顕示です。少々つらいかもしれませんが、成熟した今の自分が、当時の自分の状況を冷静に眺めてみれば、決してそんなふうに考えなくても良かったのだということがわかるはずです。きっと「不幸の呪い」を解くことができるはずですよ。

Dr.泉谷の人生相談 10

突然の人事異動。キャリアプランの変化に不安を感じています。 (会社員・20代後半男性)

 正社員になると、担当する仕事や場所が会社の意向で一方的に決められてしまうこともあるのが、日本の雇用形態の大きな特徴であり、問題点です。

 もし、十分な話し合いもなく異動を命じられたのだとすれば、会社はあなたに、何でもこなす「ゼネラリスト」であることを求めているのでしょう。

 このように、日本の組織では、構成員は均質な存在として組織に従順であることが求められがちです。これは私たちが、まだまだ「ムラ社会」的な考えを引きずっていることの一つの表れです。


 一方、「キャリアプラン」を考えるのはごく自然なことではありますが、「個」を重視する考え方なので、「ムラ社会」的な組織には、どうしてもなじみにくいところがあるわけです。


 本来、多種多様な個性を持った「個人」が、ある目的のもとに集まったものを「社会」と呼ぶはずなのですが、明治初頭に急ごしらえでこれらの翻訳語を作ったわが国では、その根本を変えないまま、近代化を進めてきてしまいました。「個」に目覚めた人がいろいろと生き辛いのは、そのためなのです。


 最近、政府も「働き方改革」に取り組み始めてはいますが、まだこの「ムラ社会」の問題に、深くメスを入れるには至っていません。


 会社側と十分に話し合って、双方の納得が得られることが最も望ましいのですが、もしそれが難しい場合には、会社の望むような「ゼネラリスト」になることを選ぶのか、別の道を模索するのかを決めなければなりません。たとえば、転職や独立起業を考えてもいいですし、会社をあくまで安定的な収入源と割り切って、趣味や余暇に重心を置くような生き方もあるでしょう。


 ぜひ、自分に合った生き方をじっくりと考えてみてください。

Dr.泉谷の人生相談 11

母と大の仲良し。母が選んだ人と結婚すれば幸せになれますか? (会社員・20代後半女性)

 私たちは、ともすると「血のつながり」という言葉に惑わされて、親子のつながりを、絶対的なもののように思いこんでしまうところがあります。

 しかし親子といえども、その内面の性質に関しては、「ほぼ他人」と言えるほど異なっているということを、知っておかなければなりません。つまり、遺伝的なつながりも、私たちが考えるほど決定的なものではないのです。


 互いに依存し合っている関係を「共依存」と言いますが、これに安住しているときには、「依存」を「愛」であると勘違いして、自分たちは理想的な関係にあるとさえ思ってしまうものです。


 しかし、はじめは「とても良い親で、何の問題もなく自分を愛してくれている」とおっしゃっていた方も、面接を重ねていくうちに、例外なく、親と自分の違いをはっきりと自覚するようになって、親からの精神的独立を果たすことができるようになっていくものです。


 本当に良い親とは、わが子が自分との関係から独立し、自分らしい人生を見つけ、力強く歩んでくれることを願うものだと思います。ですから、親との関係から脱出しないわが子を、むしろ突き放そうとさえ思うのが、真の親の「愛」なのではないでしょうか。


 実家から精神的に独立していないまま結婚をしてしまいますと、それぞれが負っている家の文化同士が衝突を起こしやすく、二人の新しい文化を一緒に築くことがうまくできません。


 また、「結婚すれば幸せになる」という幻想にも惑わされてはなりません。茨木のり子さんの詩に「一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しい」という名フレーズがありますが、大切なのはまず、親から独立した「個」として自分らしい幸せを見つけること。そして、その自分の目で、響き合える人を見つけることなのです。

Dr.泉谷の人生相談 12

2人の子供を平等に愛せているか、いつも不安に感じています。 (主婦・40代前半)

 自分は、はたして子供を愛せているのだろうかと気にかけることは、決しておかしなことではなく、とても大切なことです。なぜなら、親の期待や願望を子供に押し付けて、それを「親の愛」だと思い込んでしまっているほうが、はるかに有害なことだからです。

「愛する」とは、相手が相手らしく幸せであることを喜ぶ気持ちのことであって、相手がこちらの思い通りになることを強要するのは「欲望」です。


 つまり「愛すること」とは、自分の気持ちや思い入れによって一方的に決まるものではなく、常に、相手がどう感じているかという不確かなものによって決まります。だから、どうしても不安は避けられないものなのです。むしろ、不安を抱かなくなってしまっているとしたら、「愛」は「欲望」に変質してしまっているかもしれません。


 次に「平等に愛せているか」という問題ですが、この「平等」を「どの子も同じように」と考える必要はありません。なぜなら、同じ親から産まれたきょうだいや双子であっても、一人ひとりが、かなり違う資質を持って生まれてきているものだからです。それはまるで、それぞれが異なる種類の植物のようなものです。たとえば、スミレとヒマワリとバラに、同じように水やりや肥料、日当たりを施してしまったら、なかには根腐れや肥料焼けが起きてしまうものも出てくるでしょう。


 ですから、それぞれの子供の性質の違いを感じ取って、それに応じた個別の対応をすることが大切です。ずいぶんキッパリと叱らなければ伝わらない子もいれば、叱ろうとするだけで泣き出してしまう子もいるのです。


 子育てに正解などありません。子供も親も、日々刻々と変化していく不完全な存在に過ぎません。力を抜いて、柔らかい心で向き合ってみてください。

Dr.泉谷の人生相談 13

怠け者になるのが怖くて努力を続けていますが、疲れます。 (会社員・20代前半女性)

 自分のことを、放っておけば怠けてしまうような人間だと思っていらっしゃるようですね。しかし、自分自身からそう思われてしまっている自分は、決して爽やかな心持ちではないでしょう。

 誰しも、「どうせお前は怠け者に違いない」などと決めつけられてしまったら、気分は沈み、やる気まで失せてしまうものです。そこに
努力というムチをふるって無理に動かしたとしても、あまり良い結果は期待できません。


 私たち人間は、「頭」と「心=身体」という、性質の違う2つの部分でできています。この「頭」によって「心=身体」をきちんとコントロールするのが立派なことだと私たちは教え込まれてきました。しかし、これは「心=身体」が「頭」よりも劣ったものだという、誤った見方に基づいた考え方です。


 確かに、コンピュータのように情報処理を行う「頭」が、優秀に見えるかもしれません。しかし実際は、大自然の原理で動いている「心=身体」のほうが、はるかに高い知恵とエネルギーを持っているものなのです。


「心=身体」の意に沿わないことをするときには、どうしても
努力が必要になることもあるでしょう。しかし、「心=身体」が望むことをするときには、喜びに満ちた熱中が生まれます。


 もし
努力が常に必要になっているのだとすれば、それはかなり自分の「心=身体」に反した、「頭」に偏った生き方になってしまっているのではないかと思われます。


 同じがんばることでも、
熱中のほうが努力で行った場合よりもはるかに良い結果が得られ、大きな充実感や喜びも得られるものです。ですから、なるべく努力より熱中が増えていくように人生を進めていくことが、幸せに生きる秘訣ではないかと思うのです。

Dr.泉谷の人生相談 14

どうすれば、誰からも愛される人になれるでしょうか。 (学生・10代後半男性)

 どんな人にとっても、「誰からも愛されたい」というのは自然な願望です。けれど、誰かが自分を愛してくれるかどうかは、相手の自発的な気持ちで決まることなので、自分がこれを左右することはできません。

 世の中には実にさまざまな人がいて、その好みは千差万別です。もし、自分に何のマイナス要素もなかったとしても、「その隙のない感じがイヤ」という人もいますし、欠点だらけだったとしても「そこがかえってホッとする」という人もいるのです。


 誰もが気に入って似合う洋服が存在しないように、人間も、どんなに美形で性格の良い人であっても、かえってそれを近寄り難く感じたり、妬みから反感を覚える人もいるのです。


 私たち人間は、「愛すること」はできても、「愛されること」を求めるのは、原理的にできないものなのです。なぜなら、誰かに「私を愛してほしい」と要求した途端、相手の自発性は侵害されてしまい、強要されてしぶしぶ相手が自分に向けてくる気持ちは、もはや「愛」と呼べるような、自然で自発的なものではなくなってしまうからです。


 ですから、「誰からも愛される人になる」ことを目指すよりも、自分らしさに磨きをかけることをおすすめします。これは、別の言い方をすれば「自分を愛すること」です。


「自分を愛している人」からは、おのずと愛に満ちた輝きと温かさが発せられるので、周囲からもとても魅力的な人に見えるものです。


 大切なのは、
量的に多くの人に評価されることではなく、質的に深く自分を理解し、愛してくれる人たちと出会える自分になることです。それにはまず、自分が自分を愛することから始めなければなりません。愛あるところに、愛は向けられるものなのです。

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